10年生悲劇「オセロと私たち~悲劇のエチュード~」を観て

(準備風景)

シェイクスピアなのである。

わたくし、大人です。

20年超、演劇を
趣味としてきました。

それでもこれをやれと言われたら 相当な覚悟をせねばなりません。

もう一度言います。

シェイクスピアなのである。

しかも「オセロ」。

一般的に演劇では、
演じる役が自分と近い人物であればあるほど
役作りのアプローチもしやすくなるものです。

学園の10年生が演じるならば、
「現代の、日本の、高校生の、女の子たちのお話」
ならば作品理解も深めやすいでしょう。

しかしオセロは
「時代も、国も、年齢も、(大半が)性別も違う人物たちのお話」なのです。

10年生って16歳ですよね?

全員女の子ですよね?

はっきり言ってハードル
ガン上げムチャぶりです。

学園の演劇の授業では、
これまでもよく海外作品に取り組んできましたが、
そこに先生方の半端ない
意気込みをいつも感じます。


本番の舞台上では、
作品との取っ組み合いの成果でしょう、
どの子たちも
目に見えぬ擦り傷や痣を全身に負いながら、
瞳を輝かせ、
役を生きようとしていることを
毎回客席で感じます。

一方、少々もどかしい思いを
抱いてきたことも事実です。

役の持つ多くの属性を理解し、
それを表現することに力を使ってしまうことで、
役そのものの内面に向き合うことが
どの程度できているのか、
疑問に感じてもいました。

そのような意味で
今回10年生が行った、
戯曲を現代に置き換える
アレンジというのは、
私のもどかしさを
打ち消してくれる試みでした。

当日配られたパンフレットによると、
この作品はオセロの悲劇性を
深く感じる場面を抜き出し、
各エチュードの構想を
それぞれの10年生が考え、
先生の力を借りて
台本に仕立てたそうです。

パンフレットにはエチュードごとに 登場人物の関係図が描かれ、 彼女たちの捉えた悲劇の構図が 示されています。

その中には「恨んでいる」「憎んでいる」
「嫉妬」などの言葉が出てきますが、
それらの感情が引き起こす
人間関係の変化を実際に演じて見せるのですから、
人生経験16年の彼女たちには
大仕事のはずです。

しかし、現代版アレンジのおかげで、
原作の大げさな言葉遣いに振り回されることなく、
観客に多くの情報を理解させる作業からも解放され、
等身大の彼女たちで演技できていたことが
素直に良かったと思えました。

例えば、エチュードの中で、
「いやな人が来る」と知った時の役の
気持ちや二人の関係性の変化を演技から
受け取ることができました。

それもぐるんと180度ではなく
直角手前の80度くらいの感覚を。

気持ちいいです。

そして押したり引いたりで
少しずつ変わる会話のバランス。

それらを丁寧に拾い上げ
紡いでいくことで
人間関係が浮かぶ作品だったと思います。

この世は、誰がいい人で誰が悪い人なんて
単純なものではない。

誰もが悪にも善にもなりうる、
そのバランスの上に生きている。

そのバランスが崩れたとき、悲劇が起きる。
そのことを示してくれるような 少女たちの熱演でした。

最後の1シーンだけは
原作そのままを
がむしゃらに取っ組み合って
演じていました。

善を貫ぬくことさえ 悲劇を起こすとすれば、
その善は悪なのか。

では本当の善とは何か。

そんな問いかけが 胸にポツンと落ちたとき、
幕が下りました。

最後にもう一度言います。

シェイクスピアなのである。

(5年生保護者)

(お手伝いしてくれた11年生とともに)

・・今後のイベント・・

2023年5月10日(水)
おはなしと小さな手仕事「ことり」
(*未就学児保護者向け)

終了しました。

2023年5月21日(日)
にじいろまつり
親子で体験するシュタイナー教育と手作り市

終了しました。

2023年6月18日(日)
学園説明会

終了しました。